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2017年3月 4日 (土)

希望の塾第六回レポート

小池百合子政経塾・希望の塾第六回の徳川家廣さんの話で興味深かった内容は関ヶ原の合戦前後の徳川家と島津家は対立関係になかったとの指摘である。これは斬新であるが、庄内の乱の対応を考えれば納得できる。日本史で取り上げられることは少ないが、徳川家康が豊臣秀吉没後に筆頭大老として頭を悩ませた問題は、朝鮮からの撤兵に加えて庄内の乱がある。島津家久が家老の伊集院を殺害することをきっかけに起きた庄内の乱で徳川家康は最初から最後まで島津の行動を追認した。これは実は不思議なことである。伊集院は島津の家臣であるが、秀吉から直接領土を安堵されており、それを島津が手打ちにすることは政権への反逆と見ることもできるものである。秀吉が生きていたら、島津を許さなかっただろうし、それを理解しているから、島津も秀吉の存命中は伊集院に手を出さなかっただろう。徳川家康の庄内の乱対応は、絶対王政的な織田豊臣政権と異なり、大名に家中のことに独立権力を与えるという江戸幕府の性格を形作ることになる。まさに関ヶ原の合戦がなくても豊臣政権
からの体制転換はなされていただろう。
さらに西日本からの東日本への人口シフトの話は印象的であった。日本維新の会や安倍政権は西日本がマイノリティになりつつあることの抵抗という。北陸新幹線延伸やリニア中央新幹線は西に戻す施策という。政治的対立軸は観念的なイデオロギーではなく、もっと身近な地域対立かもしれない。

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