2018年5月25日 (金)

役所仕事に納期意識を

民間感覚で役所仕事に納期意識を徹底させます。遅れさせて良いことはありません。
自治会を役所の下請けのように使っている。自治会の負担が増大している。
避難所に十分な暖房設備、燃料がない。災害は寒い冬に起きることがあります。文字通り避難所のお寒い状況です。
自動車のナンバーの選択肢を増やします。うなぎナンバーなどや応援するサッカーチームのナンバーがあったら面白くないですか。
議員の居眠りは考えさせられます。テレビドラマ『ブラックペアン』の渡海は会議中に眠そうにしていますが、有能です。その有能さは無駄な会議では寝ることで発揮されます。
議会の本会議は本来的な意味での会議ではなく、一方的に話するだけのセレモニーです。これを聞いているだけは結構苦痛です。働き方改革で無駄な仕事をなくして長時間労働を減らそうとしていますが、真っ先に取り組まれていることが会議時間の削減です。議会の本会議は民間感覚ではなくしたくなる会議です。
委員会は少人数の自由討議ですので、ここで居眠りすることは問題です。
原因を究明しないで薬ばかりを出している医療を改めます。
抗菌薬は腸内環境を変え、下痢を起こしやすくします。耐性菌を増やし、それが病原菌となります。

2018年5月23日 (水)

ブラッドライン

『ブラッドライン』は中央アジアを連想する架空の二国間の紛争地帯を軸に展開される小説である。二国の国境紛争は昔から続いていたものであるが、アメリカが一方に肩入れしたためにテロとの戦争という凄惨なものである。その紛争地帯でスーパースターが亡くなった。
章毎に視点人物と場所が変わる。ロシアや日本など紛争と直接関係ない場所も描かれる。それが戦争のやるせなさを一層強める。
日本の視点人物は左翼崩れのシニアである。これがただただ卑小な人物である。過去のイデオロギーを抱えたまま思考を停止し、自分の思想を相手に押し付けることしかしない。現代の現役世代が抱える様々な問題を理解することもできないだろう。私は現代の社会問題を解決する上で過去の運動経験に学ぶことは意味があると考えていたが、昭和の学生運動は望み薄である。

2018年5月21日 (月)

命を延ばす食卓

末期ガンになったシェフの食事を紹介した書籍である。フランス料理のシェフであったが、和食中心に転換した。日本人の洋食化がガンなどの病気を増やしていることは今では十分に認識されているが、シェフの実践は勇気がいる。葛藤があっただろう。
肉よりも魚、野菜が良いことも広く知られている。本書も、その傾向に沿っているが、肉を全く食べないというベジタリアン的な厳格さはない。料理自体は様々なものがあり、健康食の単調さはない。食材や調味料、調理法を工夫している。食材は健康を謳う高級食材ではなく、普通に入手できるものを紹介している。調味料は、やはり化学調味料は良くないとする。外食時に店の調味料を使わず、持参したマイ調味料を使う。
本書は和食オンリーではないが、パンは紹介されていない。パンを食べるなという主張がなされることがある。本書はグルテンフリーという言葉は使われていないが、パンの問題を考えてそうである。
本書は明示的に砂糖を問題視する。スイーツは体に悪い。これも広く知られている。

落葉の隣り

天井が高く、壁のトーンは水色です。私はスイミングスクールを連想しました。湯の温度は熱いです。

山本周五郎『落葉の隣り』は時代小説の短編集である。表題作「落葉の隣り」は長屋で育った貧しい子ども達の物語である。現代の子どもの貧困にも通じる貧困家庭の問題が描かれる。やるせない物語である。誰も幸せにならない。相手のダメさを指摘する人も、その指摘は正しそうであるが、自身は酒に溺れている。
終わりに予想外の真相が明らかになるが、それで誰かが変わる訳ではない。これはやるせない。
次の短編「あすなろう」もやるせない。それどころか物語の筋も見えにくい。しかし、最後に話はつながる。ハッピーエンドではないが、それで救われた人は出る。

2018年5月20日 (日)

ダブルフェイス

『ダブルフェイス』は二つの顔を持つ男を主人公とした漫画である。表向きは貸金業者の冴えない平社員である。その正体は貸金業者のオーナーで、手品を使って社会悪を裁いている。平凡そうな人物が法で裁きにくい社会悪を裁く設定は、よくあるパターンである。本作品の特徴は、主人公が貸金業者というステレオタイプな見方では社会悪になりそうな職業である点である。第1巻では借金で破綻に追い込まれる描写はない。逆に主人公は債権や債務があるかないかという点を自分の正義の執行の基準としている。
昭和の日本はマルクス主義の影響が強く、社会矛盾の批判に熱心な人々は資本主義批判に走りがちであった。

2018年5月19日 (土)

ハロー、アメリカ

『ハロー、アメリカ』は合衆国が崩壊して1世紀後を描くSF小説である。20世紀末に化石燃料が枯渇し、エネルギー危機が起きたという設定である。現実は本書のようにならなかった。
既存の油田が枯渇すれば従来は採掘が技術面や採算面で難しかった場所で採掘されるようになる。また、シェールガスのような新しい化石燃料も採掘される。さらに自然エネルギーの技術進歩も著しい。需要があれば供給が生じる。市場原理は20世紀後半の研究者が考えた以上に強靭であった。
この意味では本書は市場重視の新自由主義が勃興する以前に書かれたという古さを感じる。世界的なエネルギー危機に対してユーラシア大陸諸国は配給制など国家の経済統制を強めて生き延びた。これに対して、社会主義や官僚制の伝統を有しないアメリカは社会が崩壊し、多数の国民が旧大陸に移民していったとする。しかし、現実には国家統制は現場の需要に応えられず、無駄と非効率を生み出す。それはソ連の崩壊が実証した。
一方で本書はアメリカらしさを適切に指摘する。自立心や搾取者への健全な警戒心である(101頁)。権力の監視や分権的な制度設計はアメリカに大きく見習う価値がある。

ボルト5巻

ボルト5巻は謎の組織、殼との戦いが始まる。とは言うものの、未だ敵の正体も目的も不明なままである。科学忍具の評価は下げて上げるという物語では分かりやすい展開になった。それに利用されたボルトが面の皮である。この巻のボルトは、すっかり科学忍具嫌いになっている。努力や根性を重視して新技術を否定する前時代的な精神論になっている。ボルトはナルトの次の世代の位置付けであるが、ロスジェネ世代(就職氷河期世代)の私から見ると、むしろナルトよりも旧世代の古さを感じる。ナルトは既存の常識を破壊するヒーローであった。実はロスジェネ世代よりも若い世代の方が旧世代と親和性を持つことは不思議ではない。危険な組体操やブラック部活など今の学校を見ると昭和に逆戻りした感覚になる。
ボルトは見知らぬ人とお喋りするコミュ力が高いと評されている。これは仲間外れにされていたナルトとは対照的である。
これも個人主義的なロスジェネ世代と比べると新しい世代の特徴である。ロスジェネ世代が一人で遊ぶドラクエ世代ならば、後の世代は仲間と遊ぶポケモン世代である。コミュニケーション重視は集団主義的になり、この点も旧世代と親和性がある。

マンション投資は、いさかいと揉め事で明け暮れます。激しい不安感が頭をもたげます。エフ・ジェー・ネクスト不買運動によって身体中の神経と血管が活気づきます。

2018年5月14日 (月)

ブラックペアン4話

ブラックペアン第4話「小さな命を救って!スナイプ完結最終章」が放送された。渡海の台詞「古いやり方にも強みはある。前に進むだけが医療ではない」は名言である。他の分野にも当てはまる。焼け野原から経済大国にすることを誇るような前に進むことしか考えない戦後日本社会にとって重要である。
今回は渡海が佐伯教授の逆鱗に触れて干される。医局員や研修医の渡海の評価も手のひらを返したようになるが、視聴者は第1話から第3話まで渡海の凄さを見せつけられている。どうせ手術で立ち往生すれば渡海を呼ぶのだろうとしか思えない。
「渡海先生は寝てばかり」と馬鹿にするが、いざという時に成果を出すために普段寝ることは重要である。直立不動で待機するような真似は旧日本軍の悪癖である。
冒頭ではスナイプが実績を重ねていることが描写される。これも視聴者は第3話までスナイプの問題を見せつけられている。むしろスナイプは心臓の手術箇所以外が健康でないと問題が起きるものである。だからスナイプが普及しても神の手や悪魔の手が不要になるとは思えない。医局員のスナイプ株上昇は彼らの底の浅さを示すものである。

2018年5月13日 (日)

ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか

福田一郎『ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか』(青春出版社、2008年)はドバイの経済的繁栄を解説した書籍である。ドバイは砂漠ばかりで石油も出ない、夏は酷暑で過ごしやすくもないという悪条件が重なっている。立地を重視する日本の不動産業界ではマイナス評価されそうである。ところが、今やドバイは企業や観光客の集まる最先端の国際都市である。
その理由を本書はドバイが平等で誰にでもチャンスを与えてくれるからとする。「ドバイには、外国人だから、外資だから、会社が小さいから、新しい会社だからというような差別は一切ない」(6頁)。これは日本の経済成長モデルとは真逆である。
この「開かれた」は、お金のある人に開かれたというものである。日本のように資金や意欲があっても官僚の裁量や業界横並びの圧力で潰される社会に比べれば公正である。
ドバイは君主制で民主主義はないが、良い意味で小さな政府の効果がある。「税金がないので政府による税金のムダ使いもないし、政治家がいないということは腐敗や汚職、無能な政治家も存在しない」(83頁)
税金がなければ無駄遣いもない、政府の権限が少なければ非効率な権限行使も少なくなる。これは良いが、国民の監視なしに権力の腐敗を避けることができるか。現時点のドバイでは上手くいっているとして、日本の公務員マインドでは無理だろう。
権力の監視は民主主義的な仕組みに限らない。腐敗した政府の下では外資が逃げるという市場原理に委ねる方法もある。その場合も透明性が不可欠である。しかし、日本の公務員マインドは情報公開の点でも遅れている。

2018年5月12日 (土)

埼玉地名の由来を歩く

谷川彰英『埼玉地名の由来を歩く』(ベスト新書)は埼玉県内の地名の由来を解説した新書である。タイトルに「歩く」とあるように現地を歩いて写真を撮る紀行文の要素もある。
埼玉の県名は行田市にあった埼玉村に由来する。テレビドラマ『ブラックペアン』第3話では行田産さいたま米で卵かけご飯を作っていた。この埼玉の由来を踏まえると浦和市、与野市、大宮市が合併して、さいたま市を名乗ることは地理的には正しくない。足立郡に位置し、埼玉郡ですらなかった。
一方で埼玉は幸いの魂という意味であり、素晴らしい名前である(32頁)。この名前を名乗ることは素晴らしい。
本書から最初に感じたことは埼玉県は広く多様であることである。明治時代の廃藩置県後に埼玉県と入間県に分かれていた。入間県は熊谷県となり、群馬県に編入されたこともある(38頁)。埼玉としての同一性を強調するよりも、多様性を尊重したい。
本書は官僚主義的な都市計画によって歴史的な地名や風景が失われることを残念がっている。川口には善光寺があるが、荒川のスーパー堤防建設によって立ち退きを余儀なくされた(98頁)。

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